早寝早起きの生活を送るようになってから、もう随分たつ。
早いときには夜七時に寝てしまうし、どんなに頑張っても、夜九時頃には眠くて身体を起こしていられなくなる。
何時に寝ても、朝はきっちり五時に起きる身体になってしまった。
加齢によるものだろう、としか言いようがない。気づいたら、そうなっていた。
この生活リズムに特別の不満はない。が、時々ふと、郷愁のような想いにとらわれる。
かつて、私は自分でも呆れ返るほどの、夜行性の人間だった。
起床は早くても午後六時で、ひどい時は、午後八時を過ぎることもあった。
目覚めたときはしっとりと冷えはじめた夜の暗闇のなか。それが当たり前だった。
起床からしばらくして、日付が変わるころになると、全ての音がさらに遠く、低く聴こえるようになる。
これは、夜行性の人間にしかわからない、深夜の変化だ。
街からほぼ音が消え、私の部屋も、私の思う人々が眠る遠い家々も、少しだけ深みに沈んでいく。
ひとり足先を冷やして座り、黙ってそれを感じていると、意味もわからず泣きたい気持ちが襲ってくる。
そうなると、私は毎晩のように、寝静まった外の町へとひとりさまよい出すのだった。
深夜に目覚めている人間たちが集まる場所、すなわち深夜営業の居酒屋やスナックに、私はめったに行くことがなかった。
ひんぱんに通えるほどの金がなかったからだ。
いまのようにコンビニもなく、外はどこまでも暗かった。その暗い街を、私はただ歩く。自販機の光だけを頼りに、たまに通る車を避けながら、側道の溝板を踏んで、ひたすらに歩いた。
どこにも立ち寄る場所はない。入っていける建物はない。深夜の孤独は体幹にひっそりと刺さった極細の金属針のようで、心が動くたびに、深いところがキュッキュッと痛むのだった。
その痛みが、私を活かしている。だから、私は夜を歩くのだ。
その頃、私は、そう思っていた。
そして、私は、ある「中庭」を見つけたのだ。
それは人通り少ない住宅街に建つ古めかしい屋敷風の家で、高い板塀に囲まれていた。昼間に通りかかると門は完璧に閉じられており、中を伺うことすらできない。
が、深夜になるとなぜか、正門の少し脇にある通用門が開いており、門の上の常夜灯がふたつ、こちらを誘うように輝いているのだった。
門の前には地面置きの看板が出ており、流暢な手書きで「深夜だけ開けております。中庭へどうぞ」と書かれていた。
通用門をくぐり邸内に入ると、木造二階建ての家屋はきっちり戸締まりされ、室内には灯りひとつ見えない。
なのに、玉砂利の細い路を抜けたところの中庭には、街灯のような背の高い灯りが置かれ、黄土色の優しい光が芝生に降り注いでいる。
芝生の中央には、田舎のバスの休憩所を思わせる、簡素な作りの古びた東屋があり、長方形の卓のまわりに、やはり木製のベンチが置かれていた。
卓上には電気カンテラがひとつ、ぽつんと置いてある。
カンテラの横に、大声をけして出さないこと、灯りは持ち込まないこと、午前三時には立ち去ること、ゴミは必ず持ち帰ること、といった注意書きのメモがあった。
そこには毎晩、数人の深夜族たちが、ひそやかに集まっていた。
東屋の下は相手の顔もよく見えない暗がりで、そこで私たちは小声で囁くように語り合いながら、思い思いのものを飲み、思い思いのものを食べた。
老人から十代だろう少女まで、いろいろな人々がいた。いろいろな声、いろいろな匂いがあったが、彼らの名前も素性も知らないままだった。
そこは私の、夜の茶の間だった。
ポットに入れたコーヒーを、とめどなく飲みながら、私は考え、つぶやき、聞き、たまに笑っていた。
夜起きる者の孤独が、そこで癒やされていたのか。それはよくわからない。私は顔の見えない人々の横で、やはり独りだった気もする。
が、深夜の中庭の時間は、やはり私には楽しかったのだ。
そこで彼女と出会った。
彼女の顔もやはりよく見えなかったが、印象的なのは長い後ろ髪を編んで止めてある、真珠色のバレッタだった。どんな素材なのか、暗闇のなかでも、その真珠色はキラキラと光った。
声も話し方も快活で小気味よく、声を抑えながらの笑い声には、踊りだしたくなるような活き活きとした魅惑があった。
彼女は、自分のことをほとんど語らなかった。悩んでいる様子も全く見せなかった。
深夜の空気の素晴らしさ、夜中の自販機で飲むジュースの美味しさ、おすすめの夜歩き住宅街。二十四時間営業レストランのコスパメニュー。
彼女の話はみな、夜を歩き、夜を楽しむ喜びに溢れていた。
酒豪の彼女は出会うたび、さまざまな蒸留酒を持ち込みぐいぐいと飲んでいて、ややもつれた舌で、とめどなく話し続けるのだった。
(あたしは、夜にしか生きられない。生きてる感じがしないの。だから、めいっぱい楽しむの。)
そう耳元で囁く彼女の声を、陶然と聴きながら、一時の幸福に満ちてコーヒーを飲んでいた記憶。
彼女に酒を飲まされ、泥酔して庭の芝生にひっくり返っていた記憶。
ある雨の夜、私と彼女は、東屋で二人きりだった。ベンチに並んで腰かけて、いつものように雑談していた。
ひそひそと話し込むうち(なんの話かはもう憶えていない)、顔が自然に近づき、頬と頬が、ごくわずかに触れた。
あ、ごめん、と思わず言うと、彼女はくすくすと笑い、こう言った。
(ね、結婚しよか。)
こうして、私は彼女とひそかに結婚し、ともに暮らすようになったのだった。
……と、ここまで書いて、私は愕然とする。
そうだ。そうだ。私には妻がいる。夜にしか起きていない妻が。
しかし、早寝を習慣にしてしまった私は、もう思い出せないほど長いあいだ、彼女に会っていないのだ。
いつから私たちは会わなくなったのか。なぜ、その存在すら、これを書くまで忘れていたのか。
私は部屋を飛び出す。そして、自分のさして広くもない家の中を駆け、妻の自室の前に立ち、激しい動悸とともにドアを開ける。
部屋は、完全な空き部屋だった。
カレンダーひとつ、ゴミ箱ひとつ残っていない。
妻は、もういない。
それとも、あるいは、最初からいなかったのだ。
諦めきれない私は、必死に家中を探す。そして、発見する。
彼女の象徴ともいえる、真珠色のバレッタを。
それは、トイレの小窓のカーテンを、止めるために使われていた。
いま、私は強く決意している。
今夜、あの不思議な深夜の中庭に行く。そこには妻がいるだろう。なぜか、私にはそう確信できる。
会えたなら、このバレッタを渡し、激しく泣きながら謝るのだ。なんに謝るのか、そんなことはどうでもいい。
私の忘却、私の変節、私の不誠実、私の習慣、私の健康もしくは不健康、私の生存、私の全てについて、私は土下座するのだ。
そうしなければ、私は、どこにも落ち着くことができず、生きていることすら怪しくなってしまうだろう。
いまは、夜八時半を回ったところだ。
これを書きながら、私はミントガムを噛み、必死に眠気をこらえている。
深夜十二時は果てしなく遠く、私は引き伸ばされたような時間のなかで、妻の顔を必死に思い出そうとしている。
そして、そもそも私は妻の顔を、光の中で見たことがないのではないかと、疑いはじめている。
私は、今夜、ふたたび妻に会えるのだろうか。考えるほどに、それは絶望的に思えてくるのだ。